今週の中野満
堺の浪漫。
堺における、古の浪漫を体験してきました。
堺南宗寺に伝えられる、家康のお墓です。
大阪夏の陣で、負傷した家康が南宗寺で生き絶えたという伝説のお墓です。
この伝説について、人の縁の力とそこから生まれる物語の美しさに、他ならぬ根拠を感じました。
お寺には、千利休、三好長慶といった創建当時からゆかりのある茶人や武将の一族のお墓が並びます。そして、少しひっそりと、名もなき小さな墓石があります。案内人の方の話では、こちらが「伝説の家康の墓」とのことでした。そう言われても…。と言うのが、こちらの心境です。
臨済宗南宗寺は、ボランティアの案内人さんがお寺の敷地内を案内していただけます。枯山水、雲水さんの修行道場、狩野家の天井画の本堂、そして前述の戦国の縁人の墓など順路に沿って丁寧にご説明していただけます。
中でも声を大にして、説明いただける箇所が2箇所ありました。
唐門と、東照宮跡に立つ一際大きな墓です。
案内人さんは前者、後者ともニコっと笑いながら、質問を投げかけます。
前者の質問は「瓦を見て何か感じませんか?」でした。
瓦には葵の紋がありました。この時点で私は蚊が舞う暑さに、につかわぬ寒さが背中を走りました。
後者の質問は「この墓の前、後ろ、よく見てください。どう思いますか。」でした。
この墓は、戦争で焼失した東照宮跡に、水戸徳川家家老の末裔・三木啓次郎氏によって東照宮跡碑として建立されたものとのことでした。
前には「徳川家康の墓」と書かれ、そして、後ろには、寄進された5名の方のお名前が書かれていました。中に、驚きの松下幸之助様のお名前がありました。
松下幸之助様と水戸黄門さんの末裔の三木さんとは、非常に強いご縁があったようです。
幸之助さんが、まだ1人で電球ソケットを売り歩いている時に三木さんは先見を感じ、スポンサーになったようです。その後、松下電器はナショナルとなり、水戸黄門のテレビドラマのスポンサーとなりました。
なんと美しいお話でしょう。
実際のお墓を前に、そのようなお話を聞いて、恩とか縁とかとても大事なものの偉大さを感じました。
家康が大阪夏の陣で亡くなっていたことの真実に耳を傾けてる自分が小さく感じました。「どうする⁉︎みつる」て感じ。