中野満の日記
堺の家康。
本日は、早朝からエクセルファイルをゴリゴリと…。あーでもない、こーでもないと関数をいじっています。
数字遊びにならないように、常に根拠を脇に置いて係数を作っていきます。付加価値とはよくできた指標です。
ということで今日は一日事務所籠りです。
昨日、大阪堺市にある事業者様と打ち合わせの中で、堺の歴史について盛り上がりました。発端は大河ドラマ「どうする家康」の話からです。
堺は世界遺産である仁徳天皇陵古墳が有名です。古墳が物語るように古くは1万年前の旧石器時代から人が定住していたようです。
とは言え、私たちの堺のイメージは「戦国時代」です。
港町として栄えた堺は貿易が盛んで鉄砲の輸入拠点だったんですね。財力のある武将はこぞって鉄砲を堺商人から買って戦に備えていたんです。
そんな関係性で戦国時代の堺は商人と武士の町だったんですね。
あと、忘れてはいけないのは堺の文化ですね。
千利休に今井宗久、蓮如上人に沢庵宗彭と、茶道に仏道にとビッグネームが連なります。
でですね、昨日の社長さんとの雑談ですが、テーマは「家康」です。
堺には「家康の墓」があるという都市伝説です。
場所は、沢庵宗彭復興による南宗寺でございます
社長と私以外に取引先の方もいらっしゃる中、社長以外は信じない派でした。私も含めて信じない派は、そのような噂は聞いたことがありますが、実際南宗寺に赴き「家康の墓」を見たことがありません。
ストーリーは、夏の陣で、劣勢だった家康は影武者をおいて本人は堺に逃げてきたところをやられた。とのことなんです。影武者というのも時代的には信ぴょう性が高いかもと思いながら、「ほんまかいなあ」の連発です。
しかしながら、歴史は浪漫でいっぱいですね。真実はわからないところが話の盛り上がる原因かもですね。
堺の南宗寺、家康の墓参り、行ってみたいですね。
写真は堺の観光ガイドより抜粋です。