中野満の日記
ぼけつ。
墓穴を掘るとは、字のごとくの自爆の意味である。
あるいは自滅、あるいは自壊…。そう、言わずもがな自らを葬る行為である。
私は掘ってしまったのだ。
掘ったことに気づくと、条件反射的に埋めようとする行為になるのだ。
その埋める行為が癖ものである。本人は埋めているつもりが、他者にはより掘っているように映るのだ。
辻褄の合わない一人相撲である。これは滑稽な姿であり、汗顔の至りである。
端的に言うと、穏便にと思い、伝えていなかったことを、うっかり口を滑らせてしまったのだ。
「この件は伝えないほうがいい」と選択したにもかかわらず、時間が経過した後、何かの拍子に伝えてしまったのだ。守秘義務を順守する私としては、不覚の致すところである。
その後、決して隠していたわけではないという弁明が、より自らを自滅へといざなっていく。
弁明というか、言い訳が見苦しい。そう気づいた時には、私の体は既に半分が埋まっている。
這い上がることができるのか。いや這い上がらねば。葛藤の中、もがけばもがくほど、底なし穴のごとくずるずると埋まっていく。
コミュニケーション力は失い、戦略・戦術は思考停止状態。私はかろうじて頭部だけが地面から出ている状態だ。その状況に相手は白い歯をこぼしている。しかし目が座っているかのようにも見える。
落としどころはどこなのか。テーブルの上の水の入ったコップに手が届かない。
次の一手が見当たらない。このまま私は全身埋まっていくのか。…自滅…笑
このように、墓穴を掘るとは、人と人が数多繰り広げられるコミュニケーションの中で起こってしまう結果論である。
因果応報的に言うと、今回のケースの火種は「わざと伝えなかった」という選択をした私である。その報いが墓穴を掘ることに繋がったのだ。
物事には、全て原因と結果がある証である笑
そして、コミュニケーションは喉が渇くものである。
「そろそろ喉も乾いてきたので、水でもいかがでしょうか。」
この言葉の意味を読まれて、再び墓穴。笑