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中野満の日記

ぼけつ。

2023.06.23 Fri

墓穴を掘るとは、字のごとくの自爆の意味である。

あるいは自滅、あるいは自壊…。そう、言わずもがな自らを葬る行為である。

私は掘ってしまったのだ。

掘ったことに気づくと、条件反射的に埋めようとする行為になるのだ。

その埋める行為が癖ものである。本人は埋めているつもりが、他者にはより掘っているように映るのだ。

辻褄の合わない一人相撲である。これは滑稽な姿であり、汗顔の至りである。

端的に言うと、穏便にと思い、伝えていなかったことを、うっかり口を滑らせてしまったのだ。

「この件は伝えないほうがいい」と選択したにもかかわらず、時間が経過した後、何かの拍子に伝えてしまったのだ。守秘義務を順守する私としては、不覚の致すところである。

その後、決して隠していたわけではないという弁明が、より自らを自滅へといざなっていく。

弁明というか、言い訳が見苦しい。そう気づいた時には、私の体は既に半分が埋まっている。

這い上がることができるのか。いや這い上がらねば。葛藤の中、もがけばもがくほど、底なし穴のごとくずるずると埋まっていく。

コミュニケーション力は失い、戦略・戦術は思考停止状態。私はかろうじて頭部だけが地面から出ている状態だ。その状況に相手は白い歯をこぼしている。しかし目が座っているかのようにも見える。

落としどころはどこなのか。テーブルの上の水の入ったコップに手が届かない。

次の一手が見当たらない。このまま私は全身埋まっていくのか。…自滅…笑

このように、墓穴を掘るとは、人と人が数多繰り広げられるコミュニケーションの中で起こってしまう結果論である。

因果応報的に言うと、今回のケースの火種は「わざと伝えなかった」という選択をした私である。その報いが墓穴を掘ることに繋がったのだ。

物事には、全て原因と結果がある証である笑

 

そして、コミュニケーションは喉が渇くものである。

「そろそろ喉も乾いてきたので、水でもいかがでしょうか。」

この言葉の意味を読まれて、再び墓穴。笑